日本人の动物観と里山の野生动物

发布时间:2011-07-04 22:03:35   来源:文档文库   
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日本人の動物観と里山の野生動物

動物研セミナーでの発表から

 14年前,専攻科の修了論文を私はこう書き始めた。

 『日本は四季の変化に富んだ美しい自然に恵まれ,人間と自然とが調和した優れた文化を築いてきた。このような日本の文化的伝統の基盤にあるのは,「自然は人間がそこに溶け込むところ」と見る日本独特の自然観である(「続自然保護を考える」1979)。柴谷(1973)はこれを「人間自然一元論的自然観」とよび,「自然は人間が利用する対象」とみる二元論的な西洋の自然観と対比させている。この独自の自然観は自然の中で営まれる日々の生活を通して培われたものである。』

 このあと私は,高度経済成長期を境に自然が生活の場としての役割を失ったこと,今西錦司が現代を「自然認識の貧困な時代」と述べていることなどを取り上げ,自然体験を教育として組織化する必要性を明らかにしようとした。人と自然を一体とみる日本的自然観の回復こそが,環境破壊に歯止めをかけ,子供の豊かな成長を保障する鍵であると考えた。

 ところで柴谷が「自然の中で営まれる日々の生活を通して」と言い,私が「自然が生活の場としての役割を失った」と述べた「自然」は,当然人の生活の為にある程度加工され管理された自然を意味する。日本ではそれが自然の破壊的利用搾取的利用に進まず,自然との調和,共存,持続的利用(conserv -ation)の方向性を持っていたことが重要である。加藤陸奥雄(「むし 虫 蟲」)は自然を「原生的自然」「二次的自然」「田園的自然」に整理した。自然保護保全というとき真っ先に思いうかぶのは原生林や広大な湿原などの原生的自然である。しかし,人々の自然認識自然観動物観を培う為に自然体験を組織化しようとすればまず田園的自然や二次的自然との密接な関係を回復する方策こそ大切である。日頃生活から隔絶された原生的自然に非日常のカタルシスを求めるような方向より,田園的自然を導入路として,二次的自然に働きかけ且つ働きかけられる関係が日常化する方向を求めたい。

 中村禎里(「技術と人間」第4 1975 )は日本人とヨーロッパ人の動物観について,童話や民話に登場する変身話の分析を手がかりに論じている。

 「グリム童話」では人間が動物に変身する話が67例ある。これらは魔女などの媒介者によって,動物におとしめられる「疎外変身」がほとんどである。そして動物の姿に堕ちていても,どこか人間らしいところを残していることが話の中心となる。これに対して,動物が人間に変身する話は6例しかなく,しかもそのうち5例は動物におとしめられていた人間がもとの姿にもどるというもので,残る1例については東洋の昔話が混入した可能性が高い。

 ここに「人間と動物の間に越えることのできない断絶」を置くヨーロッパ人の動物観をみる。動物は所詮動物であり,人間と対等にはなれない,劣ったものとみる見方である。中村はグリム童話のみの分析に終わったが,後藤優(1981)が2000ページを越えるヨーロッパ民話の調査で同様の結論を得ている(中村「日本人の動物観」198*)。

 一方,「日本昔話記録(柳田国男他編)」では,人間が動物に変身する話が42例,動物が人間に変身する話が92例ある。「疎外変身」は少なく媒介者もない。動物は化けて人とむすばれ,子を生み人間的な愛情を子にそそぐ。野生動物との交情は細やかで美しく,化けていない時も心情的には人間である。

 動物はおとしめられた状態のシンボルではなく,動物を劣等視する傾向は弱い。人間も潜在的には動物であり,動物も潜在的には人間であるがゆえに,動物は人に化けることができるとする。このように日本人の意識においては「人間と動物との間の連続性」が著しい。

 中村はヨーロッパと日本におけるこの違いを,「牧畜生活で肉食」と「農耕生活で米食」,「一神教」と「多神教または仏教」の違いに起因するのではないかと仮説を立て,肉食の非ヨーロッパ民族が日本的な動物観をもつことから,後者を主因とする立場をとっている。中村に限らず民族の宗教的背景にその根拠を求める姿勢は普通にみられる。確かに人を万物の霊長とするキリスト教や,転生を信じあらゆる殺生を禁じる仏教が,それぞれの民族の動物観形成に与えた影響は否定し得ない。しかし日本仏教を,仏教と,その伝来以前からのアニミズム的精神(現在神道に「八百万の神々」として残る)が融合したものとみる見方( )もあり,私はその立場をとる。アニミズム的な自然観は日本の温暖な気候や食料があふれる豊かな森や川に身を委ねて暮らしていた時代(人々が狩猟採集を主な生業としていたであろう時代)に,その起源を求めることができよう。厳しい自然を制圧し克服することで生活を成り立たせていた地域に生まれた,キリスト教やヨーロッパ人の自然観とは,はじめから対照的である。

 中村は同著において,日本人もウシ,ウマ,イヌなどの家畜には明確な劣等視をしていたと述べ,仏教の「畜生道」はけもの一般ではなく,第一に家畜を指していたとする。そして明治以前の日本の伝統的な農業は牧畜を欠く特異な形態である( )。信教の違いと結論づける前に,動物観の違いが「肉食-非肉食」でなく「牧畜-非牧畜」に起因する可能性を,つまり,日本的動物観の根を,農耕牧畜以前の狩猟生活時代の(自然の豊かさに培われた,アニミズム的な)動物観に求めてみたい。

 煎本孝(「文化の自然誌」1996)は人と自然の関係については,農耕と牧畜をまとめて狩猟に対比させ, 「農耕社会や牧畜社会では自然を文化として人間の管理のもとにおくが,他方天候や病害を常に心配し,意識として自然に依存・・・(一方狩猟社会は)現実には自然に強く依存しながら,自然に積極的に働きかける行動を通して,意識としては自然と対等」と述べている。煎本はカナダの森林インディアン「チペワイアン」を調査し,彼等の主な狩猟対象であるトナカイへの見方について書いている。これによれば,トナカイが姿を変えた少年とおばあさんの神話が語られ,そこで形成された互酬的関係によって彼らはトナカイの肉を得ているとされる。即ち人はその神話を語り継ぎ少年に象徴されるトナカイに対して敬意を持ち続けることによって,トナカイは人々が飢えているとき彼の意思で肉を与えるためにやってくると考え,トナカイを食べたあとには再びやってくるように,トナカイの霊を肉体から分離して送還する。少年はチペワイアンの言葉で「トナカイが人間として現われたもの」と説明される。

 煎本はシベリアの遊牧民にも言及し,遊牧民ではトナカイを牧畜の対象とし,トナカイを人間の財と考えることを指摘している。トナカイは人間繁栄を願うために犠牲獣として神に捧げられる。

 また複数の狩猟民の分析から,狩猟民は,狩猟を神が自分の肉体を人間に与えるものと考え,動物そのものが神であるとし,神と人間の初原的同一性の観念が文化の中核をなすとしている。

 これと同様の動物観は日本にも見られる。例えばアイヌ民族は,神の世界では神々は人と同じ姿をして同様の生活をしており,人間世界に遊びにくるとき(クマの神であれば)クマに仮装して訪れ,その毛皮と肉を土産としてもたらすと考える。狩猟は神を迎えることであり,神を神々の世界に送り返す儀式がイヨマンテである(村木美幸ら 1993)。動物は神でありその姿や生活は本来人と変わらないのである。

 またアイヌの大抵の家にはキツネの頭骨(シツンベカムイ)がまつられている。この頭骨は神意をうかがいそのお告げを知る方法としての占いに使われる。普通キツネも食された後はクマと同じくヌシャと呼ばれる神域にまつられ神の世界に返されるが,頭骨を家に置くことで霊がとどまり占の用をする(満岡伸一「アイヌの足跡」)という。

 本州に残る狩猟生活者にマタギと呼ばれる人々がおり,小国町小玉川ではアイヌの様に「熊祭り」が行われる。しかし現代では神主がとり行い,湯立て神事などたたり防ぎの意図が強調されている(「狩人」栃木県博1989)という。

 遡って日本で人々が狩猟生活を行っていた縄文時代に目をむけると,岩手県の貝鳥貝塚から出土したイノシシの頭骨には頭部を横に走る傷があり,目の後あたりで皮を切り,口の周囲だけ皮が残されていたことが推察される。このような手法はアイヌのイヨマンテのクマにも見られ,縄文人も動物の霊を送る儀式を行っていたことが示唆される(金子浩昌「貝塚の獣骨の知識」1984)。

 さらに縄文時代にはタヌキ,キツネの犬歯や下顎骨の一部を切断して,垂飾としていた例(金子1984)がある。また福井県鳥浜貝塚では多様な獣骨が出土していながら,理由は不明だが,キツネの骨がでない(森川昌和「鳥浜貝塚」1994)。

 こうしてみると,動物を人間と同一もしくは並ぶものと見たり神とみる動物観は,狩猟生活の中で形作られたものと思えてくる。そしてそれは,牧畜によって動物が人間の管理下に置かれ財とみなされることによって崩壊する。つまりヨーロッパでは野生動物にまで牧畜的動物観が及び,日本では牧畜を欠く特異な農業形態によって,狩猟時代の動物観を持ち続けたということであろうか。日本でも動力として管理していたウシ,ウマなどには劣等視が認められるとする中村の指摘も説明できる。日本人の動物観は豊かな自然の中で,隣人たる「野生動物」との関わりの中で形成されたと考えたい。

 アイヌや縄文人の例でキツネとタヌキに触れたが,キツネ,タヌキは里近くにすむ動物として,食料であったシカ,イノシシ,クマに次いで,人と関わりの深い野生動物である。中村が分析の対象とした「日本昔話記録」に登場する動物の第一位はキツネで29例,第二位がタヌキで13例だという。狩猟から農耕中心の生活に移行し,シカなどより,雑木林や田,堤を利用するキツネ,タヌキの方がより身近な野生動物となったためであろう。

 実は伝統的農村が姿を消しつつある今日でも,キツネ,タヌキが人間の最も身近な野生動物であることに変わりはない。日本的自然観の喪失が自然破壊を進行させている今日,自然観の重要な部分をつかさどる日本的動物観も,今や崩壊のきわにある。身近な里山動物であるキツネ,タヌキの生活に触れ,人間と動物の間の連続性に立脚した日本的動物観を回復することの価値は計り知れない。それこそが真の環境教育であると言いたい。

引用文献

 鹿俣浩 1984「教育の森の意義とその実現可能性について」山大教専攻科修了論文

 加藤陸奥雄   「むし 虫 蟲」

 中村禎里 1975 「技術と人間」第4

 中村禎里 198* 「日本人の動物観」

 煎本孝 1996 「文化の自然誌」

 村木美幸ら 1993 「熊の霊送りイヨマンテ」

 満岡伸一 大正13 「アイヌの足跡」

 栃木県博 1989 「狩人-庶民生活の中の狩り」

 金子浩昌 1984 「貝塚の獣骨の知識」

 森川昌和 1994 「鳥浜貝塚」

参考文献

 池上俊一 1990 「動物裁判」 

 久保田展弘 1997 「日本多神教の風土」

 阿部珠理 1994 「アメリカ先住民の精神世界」 

 信州大学 昭和53 「続自然保護を考える」

 柴谷篤弘 1973 「反科学論」

 グリム童話(新潮文庫)

 日本昔話集(新潮文庫)

本文来源:https://www.2haoxitong.net/k/doc/f40bfe4cfe4733687e21aa12.html

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