司法共助意义

发布时间:2019-09-08 02:19:07   来源:文档文库   
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1.国際司法共助の意義

a)国際司法共助とは

グローバル化により、国家間の人の移動は以前より活発なものとなった。しかし同時に、犯罪が国境をまたがって発生することにより、国際性を帯びることも少なくない。例えば、国内で殺人事件を起こした者が、事件の発覚前に海外へ逃亡してしまう場合がこれに当たる。このようなケースで、まさか外国にまで警察権を行使するわけにはいかないであろう。そこで登場するのが、国家間の司法協力、いわゆる司法共助である。

司法共助とは、犯罪人の海外逃亡や、証拠物が海外にある場合等の人や物の引渡しなどを総称した国際協力のことである。

b)本稿で扱う司法共助の範囲

 森下忠によれば、国際司法共助は、①犯罪人引渡し、②狭義の刑事司法共助、③外国判決の執行、④刑事訴追の移管の四つに分類できるとしている。元来、司法共助とは①と②の意味で用いられてきたが、第二次世界大戦後、③、④の意味での司法共助がクローズアップされてきている

 本稿では、まず国際違法共助の歴史、犯罪人引渡しをそれぞれ一つのテーマとして扱い、それ以外の司法共助をその他の司法共助として扱っていく。また司法共助について理解する上で、欧州における司法共助の知識や、大陸法と英米法の知識も必要となろう。そこで本稿ではこれらのテーマについても独立した単元を設けている。

2.国際司法共助の歴史

a)近代以前の司法共助

 司法共助、特に犯罪人引渡しの歴史は古く。紀元前から、犯罪者の移動が行われていた。例えば、紀元前1280年ごろにエジプトのラムラス2世とヒッタイトの皇太子Hattusiliの間に結ばれた平和条約の中には、犯罪人引渡しに関する記述が見受けられる

 しかし、近代以前までの司法共助は政治犯の引渡しに関するのもが中心であり、普通犯罪人の引渡しはそれほど頻繁に行われているものではなかった。当時は、政治体制の転覆を図るような政治犯罪人こそが、弾圧すべき者であり、普通犯罪者は単なる土地の厄介者程度にしか認識されていなかった。こういった者たちが、土地を離れ、他国に行くことはむしろ望ましいことであったし、当時は交通機関も発達しておらず、遠方に逃げた犯罪者を移送することは困難であった。以上より、本格的な国家間の司法共助は、18世紀以降まで行われていなかったと見るべきであろう。

b)近代以降の司法共助

 先程も述べたように、18世紀以前の司法共助は政治犯の引渡しが中心であった。この状況は1789年のフランス革命で大きく変化をする。フランス革命は個人の政治的自由を尊重する風潮を生み、犯罪人引渡しにおける政治犯不引渡しの原則を生まれた。そして、この原則は、1833年のベルギー犯罪人引渡し法で、明文化されることとなる。また交通手段、通信手段の発達は、司法共助をさらに進歩させていった。

 こうして、近代以降、司法共助は、特に欧州諸国を中心として大きく発展していくこととなる。なお司法共助の対象は政治犯から、脱走兵の引渡しなどにシフトしていった。

c)戦後の国際協力体制

 第二次世界大戦後、欧州を中心として、多国間の犯罪人引渡し条約を結ぶ動きが見受けられた。その中でも、1957年、パリで締結された「犯罪人引渡し関するヨーロッパ条約」は非常に画期的な条約であった。この条約は、欧州諸国で認められている、犯罪人引渡しの原則について言及しており、将来結ばれる二国間条約に優先して適用され、後に結ばれた条約は、この条約を補充するか、もしくはこの条約の諸原則をより容易にする限りにしか効力を有しないとしている。そして1962年、この条約を補充するものとしてベルギー、オランダ、ルクセンブルグの三カ国の間でベネルックス条約が結ばれ、西ヨーロッパにおける司法共助に大きな影響を及ぼした

また、1990年にはキューバの首都ハバナで開かれた、国連犯罪防止会議で「犯罪人引渡しに関するモデル条約」が採択された。これは法的拘束力を伴う国家間の合意ではないが、引渡し条約を締結する際の、一応の指針として機能しており、この条約により、各国で結ばれる条約がより統一的なものとなってきている。

ここまで説明すると、現代社会において司法共助は非常に活発に行われているように思われるかもしれない。しかし、一点注意しなければならない。司法共助は地域によって成熟の度合いが大きく異なっているのだ。例えば文化的な差異、法体系的な差異がそれほど大きくない欧州の諸国間では司法共助は頻繁に行われている、それに比べて、アジア諸国における司法共助体制の整備は遅れているのである。

現代社会において交通手段は目まぐるしい勢いで進歩しているし、科学技術の発展により犯罪の手段は多様化している。犯罪者にとって、犯罪行為の場所的、時間的な制約が薄れてきている現代においては、より広範で画一的な国際協力体制が必要になるであろう。

d)日本と司法共助

 日本は四方を海に囲まれているという、地理的な条件から、司法共助に関する法律はあまり発達してこなかった。現在でも、他国との司法共助に関する条約は、米国、韓国との間で結ばれているだけに過ぎない。だが日本で犯罪を行った者が米国、韓国だけに逃げるわけではないのである。むしろ中国や東南アジアの諸国に逃亡するものも多くいる、そういった状況の中で、たったの二カ国としか、条約を結んでいないというのはあまりにも心もとない。確かに、中国などは刑法の体系が大きく異なるため引渡し条約を結ぶことは非常に困難である。しかし、もう少し、地域間の条約の締結が活発に行われても良いのではないか。多国間での引き渡し条約の発展が望まれるところである。

(文責者 平澤大輔)


1.その他の司法共助とは

犯罪人引渡し以外の司法共助は19世紀に入り刑事司法に関する国家間の協力が進むにつれて発達した。初期は犯罪人引渡しに関連して国際慣行の形で徐々に発達し、独立的な性格を強めていく。そして時代が下り、第二次世界大戦後には刑事訴追および外国刑事裁判の執行の立法化が進んでいった。

その他の司法共助の主な内容としては、証人および鑑定人の尋問、物の引渡し、検証、文章送達、情報の提供など、刑事手続きに関する一連の司法共助が挙げられる。そして、犯罪防止をめざす国際連帯性の強化や司法共助は犯罪人の利益にもなるという考えから、できる限り広い範囲の司法共助を行うことの国際的な要請が強まってきており、このことは、今日における、ヨーロッパの司法共助条約で具現化されている。

2その他の司法共助における特徴

その他の司法共助は、共助の請求がなされた時に請求国の司法当局が処罰の権限を有する犯罪に対して行われる。その他の司法共助の要件は犯罪人引渡しのそれよりかなり緩和されている。まず、その他の司法共助を行うことのできる犯罪を一定の重大な犯罪に限定していない。また、双方可罰性も原則として採用していない。自国民が含まれている事件についてもその他の司法共助は認められる。

3物の引渡し

a)物の引渡しとは

物の引渡しとは刑事訴訟の遂行に役立つ特定の物を被請求国から請求国に引渡す国際司法共助の手続きである。19世紀には、物の引渡しは犯罪人引渡しに付随するものとして発達してきた。しかし、犯罪人引渡しに付随する物の引渡しでは、不都合が生じる場合がある。たとえば、犯罪人引渡しの請求のあった後、犯罪人が死亡または逃亡した場合が考えられる。この場合、被請求国に存在する証拠物は、共犯者の訴追、処罰のために役立つし、また、犯人が次の逃亡国から引渡されたときには、犯人の訴追、処罰のために役立つ。加えて、犯人は訴追開始時に国内にいるが、物はすでに外国に運び出されていたというような場合など、これらのいずれの場合にも犯罪人引渡しに付随しない物の引渡しが必要となる。そこで、20世紀に入り徐々に犯罪人引渡しに付随しない物の引渡しが発達していった。

) 物の定義

ここでいう物はかなり広く解釈され、有体物のみならず、あらゆる種類の財物も含まれている。物には犯罪から得た物も含まれ、自然の形における時だけでなく、他の物に形を変えた時も引渡しの対象物となる。

具体的に引渡しの対象物は①証拠方法②犯罪の用に供した物、③犯罪から得た物の三つに分類することが出来る。

(文責者 シユウジェ)


1.性質の変容

起源は紀元前1280年頃にエジプトのラムセス2世とヒッタイトの皇太子との間で締結された平和条約である。その中に他方の国に逃亡した犯罪人を引き渡す主旨の条項が規定されていた。同様な規定はギリシャと古代ローマとの間の諸条約の中にも存在した。

 しかし、古代には、犯罪人引渡しは、政治犯人についてのみ行われた。なぜなら、君主らの政治権力者にとっては自国の政治体制の変革を企てる政治犯人こそ最も危険な存在であって、弾圧すべき者と考えられたからである。これに対し、その他の普通犯罪者のついては厄介者が他国に逃亡することは望ましいことと考えられていた。このように、政治犯人の引渡しが、重要な部分を占めた。

 1789年のフランス革命は古い考えと制度を根本から打ち破り、政治犯人に対する完全に自由で寛容な考えが誕生し、政治犯人はしばしば次の政権の英雄となった。そんな中、当時の封建専制政治を行っている近隣の諸国は、革命の波及を恐れて、政治制度の根本的変革を企てる者を弾圧したため、多くの政治犯人がフランスに亡命した。それらの政治犯人はフランスにとっては尊敬すべき自由の戦士であり、庇護すべき人々であった。ここから、政治犯人不引渡しの原則が生まれ、犯罪人引渡しの基本性質は、普通犯罪の犯人の引渡しを内容とするものへと変容を遂げた。

2.犯罪人引渡しの法的構成

①条約前置について・・・請求国と被請求国との間に犯罪人引渡しに関する条約の存在を要するかという問題について、条約の存在を必要であるとする建前を条約前置主義と呼び、必要でないとする建前は非条約前置主義と呼ばれる。   日本は非前置主義をとっているので、引き渡し条約を締結してない気にとの間でも引渡しを行うことができる。しかし相手国が前置主義の国である時には、引渡しは行われない。我が国の場合、1980年日米犯罪人引渡条約、 2002年日韓犯罪人引渡条約を締結しているにすぎない。

 

②受動的引渡しと能動的引渡し・・・犯罪人引渡しには、受動的引渡しと能動的引渡しという二つ

の場合がある。前者は、外国の請求に基づき、自国から犯罪人を引き渡す場合であり、後者は、外国に請求して自国へ犯罪人の引渡しを受ける場合である。

③実体法と手続法・・・犯罪人引渡しにかんする条約、及び国内法は、実体法と手続法に分かれる。実体法は、【1】引渡し犯罪と双方可罰性2】特定主義3】引渡しの制限事由等基本原則に関する法規範である。

手続法は、引渡し請求の経路、請求書類などの手続面に関する法規範である。

④引渡し犯罪・・・引渡し犯罪とは、犯罪人引渡しを行うことのできる一定種類の犯罪をいう。どのような種類及び重さの犯罪を引き渡し犯罪とするかは、条約と国内法の定めるところによる。

従来、引渡し犯罪を特定化するために、列挙方式と消去方式が採用されてきた。列挙方式は、殺人罪、放火罪というように、引渡し犯罪を列挙する方式である。これは、社会の変動とともに、新しい犯罪が誕生すると、それらを規範内に取り入れるためにその度、法改正を行わねばならないということが厄介である。一方消去方式は一定種類の犯罪又はある程度以下の刑事制裁にあたる犯罪を引き渡し犯罪の範囲から除外する「包括的方式であって、引渡し犯罪の範囲を可能な限り拡大しようとする見地から優れている。

3.基本原則

1. 双方可罰主義  

2. 政治犯罪人不引渡し

⇒フランス革命以後、この原則が生まれた。これをはじめて明文化したのは1833年のベルギー犯罪人引渡法であり、他国に影響を与えたが、それらの条約では「政治犯罪」の定義はなされていない。つまり、政治犯罪かどうかは、被請求国の判断に委ねられていることになる。そこで、1856年、ベルギー犯罪人引渡法に「ベルギー条項」と呼ばれる規定を追加した。学説は一般に、「政治犯罪」を4種類に分類している。

(1) 絶対的政治犯罪

内乱罪、スパイ財のように、国家の存在に対する直接の攻撃を内容とする犯罪

(2) 複合的政治犯罪

   内乱罪の場合に国家の元首及びその家族の生命に対して危害を加える行為のように、政治的動機のしたに個人的法益を侵害する、絶対的政治犯罪と普通犯罪が複合した犯罪

(3) 関連的政治犯罪

政治的騒乱の間に行われた兵器庫からの武器・弾薬の剥奪のように、絶対的政治犯罪又                          

は複合的政治犯罪を遂行・容易にするために犯される犯罪

(4) 相対的政治犯罪

   革命資金を用意するために銀行強盗を行うように政治的性格が優越的であるような状況において犯された普通犯罪

これら4種のうち、絶対的政治犯罪については、政治犯人不引渡しを認めるという点で学説は一致している。近時、「政治犯罪」概念が縮小される傾向にある。その例として、『テロ行為』が「政治犯罪」から排除されている。

3. 自国民不引渡し

 ⇒古代、外国の裁判に対する不信感がその背景にあった。近代においては、カトリック教徒とプロテスタント教徒との間に宗教対立が存在したため、一方の教徒は他方の教徒の国の裁判所では不公平な扱いを受ける、という事情があった。19世紀にはいっては、自国人の引渡しは国家の尊厳を損なうものであり、かつ、自国民を保護すべき国家の義務に反するという考えが支配していたということが背景に挙げられる。

4. 特定主義

 ⇒引き渡された犯罪人は、引渡の対象となった犯罪についてのみ処罰されるのであり、それ以外の犯罪については処罰されない、諸原則のうち最も重要な原則である。今日の国際社会では、一般的に認められた国際法の原則として妥当している。それゆえ、条約や国内法に規定されていないときでも、特定主義は運用され、これに違反することは、国際法の違反となる。

4.引渡しの手続き

 いわゆる受動的引渡しの場合には、非請求国は国内法で定める厳格な手続きをしなければならない。内国にいる逃亡犯罪人が外国(請求国)に引き渡されたならば、その者は請求国で訴追・処罰されるのであるから、逃亡犯罪人の人権擁護のため、内国の刑事手続きに準ずる厳格な手続きをすることが要求される。これを正式引渡しの方式といい、引渡しの法的許容性を裁判所が審査・決定し、その決定後、行政府(法務大臣、国務長官等)が引き渡しの相当性を判断し、これが肯定された場合に引渡しの決定をする。

(文責者 根岸久美子)


<<比較研究>>

 大陸法も英米法も、ともにローマ法とゲルマン法が融合して出来上がったものである。しかし大陸法においてはローマ法的要素が圧倒的なのに対して、英米法ではゲルマン法の要素を色濃く残しているところが大きな違いである。

 ローマ法とは一般的に、6世紀に東ローマ帝国のユスティニアヌス帝が編纂を命じたローマ法大全のことを指す。当初は抽象的理論ではなく、具体的事案に対して法的解決をするものであった。しかし13世紀中頃から概念を明確化し、法を抽象化・体系化することに努めるようになった。ゲルマン法とは、各地で行われていた慣習法のことである。

1.成立の歴史

大陸法成立の歴史

 大陸法とはドイツその他のヨーロッパ諸国の法律を一括して呼ぶ時に用いられるものである。その大きな特徴はローマ法の影響を圧倒的に受けていることである。

 ドイツは元来ゲルマン法の伝統が続いていた。しかし10世紀にまず神聖ローマ帝国が成立する。神聖ローマ皇帝はローマ教皇から戴冠され、ローマ帝国の継承者として皇帝に任命された。したがって、ローマ法は当然ドイツに行われるべきであるという思想が広まっていた。

 その後、中世が終わりを向かえ商業が活発になってくる。しかしドイツは多数の小国に分かれ、さまざまな法が存在していた。よって取引には不便であり、時代の要請に応じることができないでいた。

 その頃、北イタリアのボローニャ大学を中心として、ローマ法大全に注釈を施す研究がなされていた。そして13世紀中頃から、取引が盛んになっていた社会に適合するようにローマ法を発展させていた。ドイツ諸国はこの近代化されていたローマ法を自国の法として取り入れ、ドイツ全土の法を統一した。

 これによってドイツはローマ法を継受することになった。ドイツ以外の大陸諸国も、ローマ法大全を法源としており、程度の差こそあってもドイツと同じ傾向を持っているといえる。

大陸法の地理的領域

大陸法の領域は主にヨーロッパである。ソヴィエト法系の国々は思想的観点を強調すれば社会主義法系であり、資本主義法系である西欧法系に対立するということもできる。しかしこれらの国々もローマ法を継受した国であり、やはり大陸法系に属す。

ヨーロッパ以外で大陸法系に属する主な国は、中南米諸国および日本、韓国、中国、インドシナ、タイ、インドネシア等である。

英米法成立の歴史

 まず英米法とはイギリスの法律及びそれを受け継いだアメリカの法律のことを指す。ローマ法の影響はヨーロッパ全土に広がっていたが、島国であるイギリスはその征服を免れ、ゲルマン法の伝統を維持した。

 イギリスはゲルマン民族に属するアングロ=サクソン人やジュート人がイングランド島に侵入して成立した王国である。その後イングランドはノルマン人に征服されてしまう。1066年に王位についたウィリアム1世は大陸から封建制度を持ち込みながら、中央集権的政策をとった。

 司法については、中央に設置した国王裁判所の裁判官を地方に派遣し、裁判を行わせた。その裁判を通じて、各地で行われていたゲルマン法を統一し、全国に共通な法を作り上げた。そのためローマ法の征服という余地を与えなかった。

英米法の地理的領域

英米法の支配する領域は、イギリス(イングランドおよびウェールズ)、アメリカ合衆国、カナダ、オーストラリア、ニュージーランド、インド、その他のイギリス連邦諸国、ビルマ等である。

2.それぞれの特徴

 次に大陸法と英米法のそれぞれの特徴を述べる。なおここで述べられている特徴はその際たるものであり、現代においてはそれぞれの長所を取り入れている。よってここまで厳格な特徴の差は見られない。

大陸法の特徴

 ドイツ法では、法の全ての抽象的概念が体系的に規定されている。そしてあらゆる具体的事件は、それらの抽象的原則からの三段論法によって解決される。この考え方は法に具体的事件を当てはめると、必ず結論が出てくるというものである。しかし事実を抽象的原則に当てはまるように整理しようとし、関係のない事実を切り捨ててしまう傾向が強い。

(a)法治主義

大陸法の特徴として、英米法の「法の支配」に対する「法治主義」がある。

まず法治主義における法とは、どのような内容の法律でもそれに従うという意味が含まれている。これはローマ法における「皇帝は法の上にある」という考え方からきている。

また、法治主義では法によって人民を統治するという意味合いが強い。法の支配では法とは権力者を支配するものであるのに対して、法治主義では法を道具として人民を統治するという考え方である。

そして法治主義では何が法であるかの決定権が司法裁判所には存在しない。よって行政を相手に行う行政裁判は原則として行われないのが普通である。行われたとしても、その裁判は行政部に属する行政裁判所が行う。したがって法治主義では行政裁判を司法裁判所が行うことは司法権による行政権の侵害であるとされる。

(b)制定法主義

大陸諸国では制定法を第一に法源としている。よって何か問題が起こったときはまず条文を参照する。大陸諸国の考え方によれば、法の原則は完全無欠の形で制定法の中に規定されている。それによっていかなる法律問題もそれらの規定から直接または類推によって解決できるとされる。

判例は制定法の規定を特定の事件に適用した実例であり、制定法の解釈におけるひとつの参考資料となりうる。

英米法の特徴

 英米法の特徴としては、具体的事件の解決を重視し、判例を重んじることがある。

 具体的事件の解決に当たっては、その事件と同様又は類似の事件についての先例を探す。直接当てはまる先例があればそれに従い、そういう先例がなければ、類似の事件についての先例から類推によって結論を出す。

 大陸法の考え方は、法に事実を当てはめるという法体系に具体的事実を当てはめるという方法をとる。それに対して英米法は具体的事実に、先例において明確にされた法規範を適用するという考え方である。

 (a)法の支配

英米法の特徴の一つに「法の支配」がある。「法の支配」における法とは、基本的人権の保障を基調とする法という意味合いが強い。これは権力者が勝手に作った法を含まない。

そして「法の支配」は一般国民ではなく、権力者に対して行われるという意味がある。法が支配しているのは一般国民ではなく権力者ということになる。

最後に、「法の支配」では何が法であるかの決定権は、政治的権力から独立した司法裁判所にある。権力者に対して、裁判所を通じて個人を護るというのが、「法の支配」の思想の核心である。

 (b)判例法主義

 判例法とは裁判所の判決による法のことである。イギリスおよびアメリカは判例法を第一に法源とする主義をとっている。よってまず事件が起こったときには、その事件と同様または類似の事件についての判例を探すことになる。

イギリスやアメリカにも制定法は存在する。しかしあくまで例外的存在であって、判例法を補充するためや、修正するため、又は一般人がわかりやすいように作られているに過ぎない。また制定法に対して判決があると、以後その制定法はその判決のとおりに解釈される。これによって制定法の解釈についても判例法が出来上がる。このように英米法の形成・発展には、立法部よりも司法部が大きな役割を果たしている。

(文責者 角井駿輔)


<<地域研究>>

1.EU

EUには、その活動の整合性及び継続性を確保するため、「単一制度枠組み」を採用している。すなわち、EUが体内的及び対外的に行動する場合、最高意思決定機関である欧州理事会の政治的指針の下、諸機関が三本柱(ECの分野 ②共通外交・安全保障政策分野 ③警察・刑事司法協力分野)に共通の機関として、分野に応じて法的根拠をEC条約またはEU条約に置きながら行動する。

この三本柱の中で、今回は③警察・刑事司法協力分野について考察してみたい。

警察・刑事司法協力は、法執行及び人種差別の解消における国家間連携に焦点を合わせた、欧州連合3本柱構造における第3の柱である。

本協力関係は最初マーストリヒト条約における一つの柱である、司法・内務協力として構築された。続いてアムステルダム条約では不法移民や国境審査・査証、亡命及び民事に係わる司法協力の領域を、第1の柱である欧州共同体の管轄へと移動するとともに、第3の柱に残された領域を明確に示すために名称が変更された。司法・内務協力という表現は現在これら第1の柱へと統合された分野及び政府協力である第3の柱をカバーしている。

マーストリヒト条約以前にはEC加盟国は域内の自由な移動及び人権保障に関し様々な領域で国際間レベル協力してきた。マーストリヒト条約では司法・内務協力は、協調行動のための新しい手段を提供することで、より緊密な行動への取り組みを可能にしながら加盟国が執る行動を強化することを目的としていた。マーストリヒト条約は欧州連合の目的、特に欧州域内での自由な移動を達成しながら、加盟国で共通した利害領域として次の事項を検討することを確立した:

2.シェンゲン協定

 シェンゲン協定とは、ヨーロッパ各国において、出入国管理政策および国境システムを可能にする取り決めである。アイルランドと英国を除くEU加盟国の全てと、EU非加盟国のアイスランド、ノルウェー、スイスの計26カ国が協定に調印し、うち15カ国が施行している。シェンゲン協定の目的は、シェンゲン領域内での国境検問所・国境検査書の廃止である。

シェンゲン協定が制定される前、EU国民は、パスポートを国境で提示することで隣国へと移動できることができた。しかし、他地域の国民は、パスポートに加えて査証が必要な場合には訪れたいヨーロッパ各国別々に取得しなければならなかった。必要な書類作成や審査による人の流れや、運輸・貿易に時間的な遅れや費用が余計に生じていた。シェンゲン協定は加盟国間での国境審査を廃止し、加盟国のシェンゲン外に対する国境検査政策を統一することを意味する。もし、入国基準が統一されていなければ、移民者は最も入りやすい国境を通過し、直接は入国しづらい国へと向かうこともできてしまうためである。 

3.シェンゲン情報システム

シェンゲン情報システム(Schengen Information System, SIS)は、欧州加盟国が共有する人や物に関する情報システムである。警察および領事館に対して、犯罪者、行方不明者、入国拒否にあたる第三国国民などの特定の個人ならびに紛失物、盗品についての情報アクセスを提供するために設置された。

このシステムはシェンゲン条約調印国であるフランスドイツベルギーオランダ及びルクセンブルグが、その実現に必要なシステムとして構築した。その後欧州各国がシステム共有に同意し、現在はギリシャオーストリアアイスランドスウェーデンフィンランドデンマークイタリアポルトガルスペインノルウェー並びにシェンゲン非加盟国であるアイルランド英国を含む17ヶ国が共有している。なお、アイスランドとノルウェーを除く全ての国は欧州連合の加盟国である。

現在では第二世代のSIS IIが計画されている。SISでは人と物に関して文字ベースであった登録項目に比較し、より多くのデータ項目を含むことになるであろう。システムにアクセス可能な当局も、例えば司法当局、欧州警察組織(Europol)及び諜報機関などを含むよう拡大される可能性がある。

4.ユーロポール

ユーロポールは当初、ユーロポール麻薬対策室として発足した。その後、マーストリヒト条約に基づきユーロポール設置協定が作成され、1998101日に発足した。

ユーロポールの目的は、特に違法麻薬取引、違法住民、違法車両取引、児童ポルノを含む人身売買、マネーロンダリングやテロリズムなどの分野における国際犯罪組織の防止および撲滅のために、EU加盟国が緊密かつ実効的に協力することである。その他の犯罪であっても、越境的性格をもつ組織犯罪集団が関わるならば、ユーロポールの活動の対象となる。

5.EUにおける刑事司法協力

警察・刑事司法協力(PJCC)における対外関係は、EUの対外関係として扱われる。国際協定の締結については、共通外交・安全保障政策の規定が準用される。

なお、ユーロポールは域外における国際的な警察協力のため、アメリカをはじめとする第三国や世界税関機構などの国際機構と二者間協定を締結している。また、ワシントンに連絡事務所を開設している。

(文責者 山口恵)


A、インターポールの歴史

20世紀に入った頃から犯罪の国際化が始まった。20世紀初頭、まだインターポールがなかった頃は、国際的な犯罪が起きた場合には国家同士の外交ルートで解決を試みていた。しかし、その方法は時間を食うし、情報の漏洩も著しかった。また、情報を交換している間に犯罪者が逃亡してしまうこともあった。そのため、各国の警察関係者のあいだで、警察機関のあいだに安定した関係を築き、犯罪抑止の効果をあげたいという考えが生まれた。つまり、世界中の警察機関をメンバーとし、警察相互の関係を生み出す組織を作ることが計画されたのである。この計画に基づいて、1923年に国際刑事警察委員会(ICPC)が設立された。これが現在の国際刑事警察機構(ICPO)・インターポールの前身である。

ICPCはウィーンに常設の国際事務局を置き、構成員は年に1度、ヨーロッパ各国の首都のいずれかで開かれる総会に参加することになっていた。ところが、ICPCが設立された当初はICPC総裁、その他重要なポストを占める役員はほぼオーストリア人で構成されていた。それに加え、ICPC自体もオーストリア警察の部局に編入され、発足当初に発動された措置はオーストリア特有の状況に対応したものが多かった。このためICPCは、世界各国の警察のあいだに効果的な関係を築くことに成功したが、当時はまだオーストリアのための組織という面が強かったといえる。また、ICPCで扱う犯罪について明確な基準がなかったため、政治的側面の強い犯罪についてもICPCが解決していた。

それでも順調に組織としての発展をみてきたICPCだったが、第二次世界大戦の折にはヒトラー政権の一部となってしまう。ICPCの持っていた犯罪者データに人種や信仰している宗教が載っていたこと、ICPC独自の情報網があったこと、これらの利点があったため、ナチスは関心を持ったのである。

ICPCの持っていたデータは普通法上の犯罪者に対するものに限られ、その他の人々のデータについては対象外だった。しかし、そのデータをICPCがドイツ警察に送ることでナチスの関心を持った対象者の追跡をすることが容易となった。その結果としてホロ・コーストの一助となったことも否定できないといわれている。

第二次世界大戦が終わり、1956年のウィーン総会において、それまでのICPCの歴史などを踏まえ、新たな憲章について合意に達した。この憲章の中では、人権を基礎とし、政治、宗教、人種に加え、軍事に関わる案件についての制限が課されている。また、構成員に平等の投票権を認め、選挙や幹部任命についての条件を定め、事務総長の地位については国ではなく組織を代表するものとされている。それに加え、組織に加盟するための条件として、国家中央事務局を設けることが義務付けられている。こうしてICPCは、国際刑事警察機構(International Criminal Police Organization)、現在のインターポールとなった。1956年の加盟国は51だったが、20053月末の時点では182の国と地域が加盟している。

なお、インターポールという名称は、ICPC時代に電信の宛先として使われていた名称だったが、ICPOを立ち上げた際に通称・公称とすることが決定された。

B,インターポールと犯罪

インターポールであっても、全ての犯罪を扱うことはできない。扱える犯罪は、一般犯罪、組織犯罪、経済犯、偽造通貨、麻薬関係、国際テロリズムであり、インターポールで扱えないものは「政治的、軍事的、宗教的、または人種差別性格を持つ」ものである。扱える犯罪についてはデータベースをつくり、各加盟国から収集した情報の整理・分析を行う。

1.扱える犯罪

a)一般犯罪

美術品盗難、銃器・爆発物の密輸、盗難自動車の密輸、人身売買・売春その他の性犯罪、絶滅の危機に瀕している野生動物の保護などがこれにあたる。

b)組織犯罪

インターポールでは組織犯罪の定義を「国境を越えた収益または影響力を求めて継続的に犯罪活動を行うもののグループまたは組織」としている。解明対象グループとして、マフィア・日本の暴力団など、確立した組織のある犯罪、強盗・通貨偽造などを行う職業的犯罪者集団、民族的に同じ者の中に発生するボスや取り巻きといった犯罪者集団、国際的に連係している暴走族グループなどがある。

c)経済犯

金融機関への詐欺、商業活動における詐欺、小切手その他の支払い文書に関する詐欺、輸送機関を舞台とした犯罪などがある。また近年では、クレジットカードの偽造についても取り扱っている。

d)国際テロリズム

インターポールでは国際テロリズムに関するデータベースも作られている。しかし、インターポール加盟国の中には、国際テロリズムの温床となっている国もあり、情報交換の効果が期待できないとの指摘もあるため、効果的な対策が立てられていない状況にある。

C,インターポールの仕組み

インターポールは総会、執行委員会、事務総局、各国の中央事務局から構成されている。

1.総会

インターポールの最高の意思決定機関が総会であり、 各加盟国からの代表によって組織される。 総会は1回開催される。

2.執行委員会

原則として、総裁1人(任期4年)、副総裁3人(任期3年)、執行委員9人(任期3年)の合計13人によって組織される。執行委員会の委員は、それぞれ異なった国の出身でなければならず、総裁と副総裁は、それぞれ異なった大陸 から選出されなければならない。
 なお、総裁、副総裁及び執行委員は、引き続き同一の地位又は執行委員に選出される資格を持たない。

執行委員会は、総裁の招集により、少なくとも年1回開催することとされており、 その任務は、 総会の決定の実施の監督、総会の議題の策定、予算、活動結果などの総会への提出、事務総長に対する業務監督などとなっている。

3.事務総局

a) 事務総長

事務総長は、警察事項について高度の識見を有する者の中から執行委員会が選定し、総会の承認を経て任命される。任期は5年で、再任も可能であるが、65 歳に達した場合は再任されない。事務総長は、執行委員会及び総会に対して責任を負い、また、任務の遂行に当たっては、機構を代表するものとし、いかなる特定の国も代表してはならないこととされており、 その任務は、職員の採用・指揮、予算の実行、事務総局の局課の指揮、インターポールの活動計画案の策定などである。

b) 事務総局

事務総局の任務は、総会及び執行委員会の決定の実施、技術及び情報の中心としての機能の発揮、インターポールの能率的運営、国内及び国際機関との協力、次年度の活動計画案の起草などとなっている。

4.職員

職員は、各加盟国の国内法の許す範囲で警察機関の善意と積極的姿勢に基づいて、情報交換や捜査協力をすすめる。つまり、いわゆる国際捜査官などがいるわけではなく、各国から警察官を派遣している、という形になる。インターポールの公用語は英語・フランス語・スペイン語・アラビア語である。

なお、日本の警察官がインターポールへ派遣される場合は、英語を使って流暢に会話できることが必須条件で、派遣が決まったのちにフランス語の教育がなされることになっている。

D,インターポールの展望

インターポールが設立されてから今年で50年を迎える。この50年の間、インターポールは目覚ましい発展を遂げ、古くからある犯罪から近年新たに生まれた犯罪まで、幅広い種類の犯罪に対処するべく、日々前進している。

現在の国際社会で1番問題となっている犯罪は、国際テロリズムである。インターポールでもテロリズム対策として情報の収集や交換を行っているが、まだ十分であるとはいえない。また、インターポール加盟国に、テロリズムの温床国家といわれる国家が加盟しているため、有用な情報を得ることができないことも事実である。加えて、テロリズムが往々にして政治的側面が強いため、インターポールで扱えないのではないか、という議論もある。

上記で述べた問題全てを解決し、テロリズムに対して有効な策を生み出すにはまだ時間がかかるだろう。しかし、これらの点を乗り越え、国際犯罪に立ち向かうための組織としてさらに大きく前進していくことを期待したい。

(東海林真依)


書籍

森下忠「新しい国際刑法」信山社 2002

森下忠「国際刑法の新動向」成文堂 1979

森下忠「犯罪人引渡し法の研究-国際刑法研究 第八巻」成文堂 2004

尾崎久仁子「国際人権・刑事法概論」信山社 2004

山崎秀「国際犯罪と国際刑法」早稲田出版 2003

小寺彰他「講義国際法」有斐閣 2004

奥脇直也他「国際法キーワード」有斐閣 1997

山本草二「国際法 新版」有斐閣 1994

田中和夫英米法概説有斐閣 1981

ハンス・ペーター・マルチュケドイツ法入門有斐閣 1994

滝沢正フランス法 第2版三省堂 2002

森下忠「国際刑法の潮流」成文堂 1985

庄司克宏「EU法 基礎編」岩波書店 2003

芝原邦爾「刑事司法と国際準則」東京大学出版会1985

田中俊郎・庄司克宏「EUと市民」慶應義塾大学出版会2005

マルク・ルプラン著 北浦春香訳「インターポール~国際刑事警察機構の歴史と活動」白水社 2005

川田晃「国際犯罪と戦う」サイマル出版会 1993

論文

原田明夫「国際捜査共助の現況と課題」『法律のひろば』377号 1984

三浦守「国際捜査共助条約 アメリカ合衆国を中心として」『法律のひろば』3771984

北村泰三「犯罪人引渡しと人権基準の要請 人権規範の優位性に関する序論的考察」『国際法外交雑誌』98巻①12合併号 19996

HP

国際刑事警察機構 http://www.npa.go.jp/interpol/index.htm

本文来源:https://www.2haoxitong.net/k/doc/94e4f5a22bf90242a8956bec0975f46526d3a728.html

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